読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

TATY's Blog

想い想いのことだったり、海外で暮らしていた時のことだったり。

留学生活でわたしが大切に思う考え方や価値観について

終わりを迎えるいまだからこそ...

本帰国の準備をしている今、気持ちは晴れやかで馴染みの街での最後の暮らしを友達とドライブに行ったり、ゆっくりと読書をしたり(あまり勉強ははかどってないけれど)して過ごしている。本帰国を迎えようとしているからこそ、自分の長い海外生活に達成感を感じてしまうのかもしれない。

 

尚、このエントリーが多くの人に読んでもらえたので、これは自分の下手な日本語に校閲をかけたverです。

 

basedontaty.hatenablog.com

初めて書いたこのエントリーでも異文化に触れ合って感じたことを書いたんだけれども今回はその続きとして、深い内容になればいいと思う。 

長くなりますが、ご一読を。

 

同じ土俵にいないことをきちんと認識する

よく英語での授業についていけるだとか、友達はできるのか?人種差別にあったりはしないのかという質問を親戚だったり、知人たちにされることが時たまある。

正直をいうと、学校からは門限や飲酒の禁止(未成年でなくても)だったり、外出の制限をかなりされる。もちろんこれは留学生の安全を守るという面目としてとても大切なルールであるし、規則を破ると厳しい罰則がされることが度々ある。

留学生にこうした特別なルールを課すことで、現地の生徒との交流は大いに妨げられるので、ぶっちゃけ「どうやって英会話したり現地の人と仲良くなるんだよ!」と思ってしまう。

また、日本語でも理解が難しい数学や物理なり化学を、英語で理解していい点数を残せるわけがない。そんな時は、それが当たり前だと割り切ってしまう他にない。

 

そして後輩の留学生に、どのようにして現地の友達ができたのかだとか、英語の上達法について聞いてきてくれる子がしばしばいるけれども、アドバイスをしたところでそれを実践に移してくれる子なんてほとんどいないのではないだろうか?

 ”留学生”というタイトルを提げている限り、その足枷は外せない。ということは、必死に勉強をして、必死にコミュニケーションをクラスメートと取らなければいけないのではないか。

あくまでも、自分が他の生徒とは同じ土俵に立っていないことを再認識して努力をしていかないといけない気がする。だからこそ私は「留学生だから」という言い訳はせずに、同い年の人間として認めてもらえるように頑張ってきたつもりだ。

日本のトレンドを追わない

日本の流行に振り回されていたらきりがない。

どんなドラマやお笑い芸人が流行っているだとか、最新のJ-POPを気にしていても帰国している時には全部変わっているくらいの日本が消費文化であることを頭にいれておくこと。

わざわざ日本を出たのだから、外の空気を吸って、今という時間を大切にする。そんなことよりも日本のニュースを逆に英語で見るだとかなら一石二鳥じゃないかな?

わたしがお世話になっているサイトはこちら。

www.asahi.com

 

www.japantimes.co.jp

 

一日という区切りで生きる

今日という日を一日で生きることが留学生活では特に大切だ。

これは道は開けるという有名な自己啓発本の中に詳しく書かれているので一読をぜひしてほしい。

 

道は開ける 新装版

道は開ける 新装版

 

 一度に何個のことをやろうとしてしまわないで、砂が砂時計のくびれを通過するがごとく、丁寧にやらなければいけないことを向き合おう。

宿題なりテスト勉強なり、なれない第二言語でやろうとすると余計に難しいのだから。

 

目に見える成果を待ち続けない

留学をすればすぐに英語が話せるようになると思っている人がいる。けれども、語学の上達なんて目に見えにくいものだから、焦ってはいけないと思う。

例えばTOEICや英検といった目に見えるものさしで結果を判断するのなら公平な結果が見えてくる。けれども、英語を使わずして喋れるようになるわけがない。

 

わたしが通っていた教会で司教さんがこんなことを言っていた。「洗礼を受けた後だとか、聖書の通りに生きようと決めたばかりの時は人のためにお祈りをしたり、いい行動をしようとせっせと動く。けれども今のあなたはそうか?多くの人がその質問にNoというだろう」

これは留学生の多くにも通づるのではないのだろうか?

留学したての頃は、ドキドキとワクワクを抱えて友達づくりや英語の上達を夢見てきたと思う。

時には初心を思い出しながら、ひたすら行動する他に上達は見えない。

 

日本人留学生は日本人といつもいる?!

これはよく欧州圏の留学生に指摘された。だけれども、もちろんみんながみんなそういうわけでなく中には積極的に他の留学生とのアプローチを取る人なども見てきた。

 

ここで言いたいのは、日本人が日本人と一緒に集まることには多様性が見られないということだ。特に移民の多いアメリカやニュージーランドという国々では、集まると両親のルーツや文化の違いから顔も、アクセントも、食習慣も、体格も、髪の色も違う。

日本にも先住民族とされる人々はいたが、ニュージーランドのようにマオリ族が話すマオリ語が公用語とされていることはないし、それらが共存しているという認識も薄い気がする。

 

英語が話せるのは大前提なのだ。

「英語がペラペラ」という言葉はあまり好きではないし、周りに英語ペラペラ?なんて聞かれると僕はまだまだ、という風に思う。なぜなら、これから経済や政治について討論するなんて言われたら正直尻込みしてしまう。常に上には上がいることを忘れずに生きていくことや英語が話せるということに対しての定義が人によって変わることを忘れてはいけないと思うからこそ「英語がペラペラ」という言い方は苦手だ。

 

人々が持っている宗教観だったり、バックグラウンド、経済やその国の政治観についての学びを深めて、ようやくグローバルな人間になれるのではないかと思う。

 

 

留学生活は長いようで短い。新天地で、異文化とふれあうことに怖じ気つかないでほしい。