TATY's Blog

想い想いのことだったり、海外で暮らしていた時のことだったり。

私が四年くらい海外で暮らしていて思ったこと、気づいたこと

この記事を書いていくことで、自分が過ごしてきた時間たちを振り返られたらいいなと思い、書くことにした。タイトルにある通り、私が約四年間、日本を離れていて感じたことをつらつらと書いていく。

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そこから車で3時間ちょっとかけた場所で約3年と半年以上暮らしていた

 

意外と答えられない滞在国との違い

お正月にある親戚の集まりから、面接のある大学入試、バイトの面接にまで、この質問を聞かれることが多いという。

「日本とやっぱり違う?」「外国の女の子は可愛い?」などに見られる、母国である日本との違いを聞かれるのだ。

 

一見簡単に見えるこの定番の質問は、意外と厄介なものだ。何故ならば、長期間滞在していると母国との違いなどを特に気にすることもなく過ごしてしまいがちだからである。

「あなたは日々気を配りながら海外という特異な場所で過ごしてきましたか?」ということを大学を聞いているわけなのだ。

海外の人は個性が強いだとか、意見を主張しやすいというふうに日本では考えられているかもしれないが、正直なところみんな人間であることに変わりはないので典型的な日本人とされているShyな人もいるし、うるさい人もいるし...という感じなのが実態な気がする。

もちろん個性的な文化は存在するのだが... それはまたの機会に詳しく書いておきたい。

 

日本の学生の学習量はやっぱり半端ない

僕の滞在国にいる学生たちは、びっくりするくらい勉強をしない。人によってはクラスをサボる人なんてごまんといるし、気づいたらマクドナルドに行ってるなんてことはよくある。

それなのに、学生生活最後!という日に限ってみんなクラスに出席していて先生も苦笑いだったりした思い出がある。

たいていの学生たちは将来の夢だったり計画が定まっていて、そのために進路を決めている人が多いので取る必要のない授業には来なかったりするし学校をやめてしまう人もいる。これが日本との違いかも。

 

そして、日本には大学受験があり、そこにはセンター試験がある。人によっては浪人しなければいけないこともあるリスキーな試験のためにほとんどの学生は命がけで勉強をしている。

こういった「命がけで学生が勉強する」なんて姿は日本を離れてからというものめっきりと見かけなくなった。高校三年生にならない限りは、単位を必死に取るだとか給付型の奨学金を取るための課外活動などを始める子達がいなかったりするのだ。

こうして大学受験というプレッシャーに翻弄されることもなくのんびりと暮らして来れたのは、目に見える確かなものを手に入れられたわけではないと思うけれどもいい経験になったかもしれないし、自分のやりたいことを見つけるのにいい時間になった。

 

自分で考えることの大切さ

数学や物理以外のほとんどの教科で出される課題は自ら調べ物をしてレポートやエッセイとして出さなけれないけない。

なかなかの長文(3000語程度がたいてい)をストラクチャーに入れて書いて行かなければいけない。これは日本の大学の論文と似ているのではないかと思う(日本の大学行ったことないけれど)。もちろんWikiをソースとするのは禁止だし、PM2.5がこれからどのような地域で見られるか?だとか大都市で見られる、土地の値段に大きな差が見られるのはなぜか?などがテーマとして出されたら、母国語が日本語の私には辛くて仕方がなかった(ワクワクもしたけれど)。

 

2016年は国際政治的にかなりイベントフルな一年になった。だから、授業中に最近話題のニュースについて意見を交わしている姿をよく見かけた。日本の教室内でトランプやクリントンに関することやEUについて学生が討論している姿はなかなか想像しにくいのという僕の本音である。

日本という先進国で生まれたからには自分で政治や自分の国について議論できるほどの知識を持っていたり、アンテナを張っておくことの必要性を感じた。

 

意思疎通を取ることの大切さ

人の顔を伺って、言葉を選びながら友達と会話をしているのが日本で美徳とされ、それが日本の文化だと”したら”、ホームステイ生活をしてきたわたしが大切に感じたのはいかに”Ask"すること。

それは普通の会話でも、「水をいただいてもいいか?」だとか「お手洗いを借りてもいいか」という基本的なところ言える話なのだが、臆せずに相手に質問をする。些細なことでも常識の範囲内ならば質問をすることが大切だと思う。口は言葉を発するためにある。そして英語などの言語を頑張って学んできたのも会話、言葉のキャッチボールをするためなのではないか?

頑張ってたくさん覚えた単語も、使わなければ意思疎通は取れない。それが原因で自分の考えていることを伝えられないのはとても損なことだ。

 

助け合うこと

キリスト教の信者が一番多い国にいたので周りには教会がたくさんあった。

"Sharing is caring"なんていう文句があるように、お菓子を分けてあげるとこにはじめ、助け合いの精神が旺盛だ。

留学当初のころはつたない英語でコミュニケーションをとっていると、よく発音を直してくれたりだとか、学校行事でキャンプに行くときなんかはありとあらゆる人が懐中電灯やらテントやらを貸してくれた。

見ず知らずの、何ヶ月か知らない黄色人種の僕にそうして分け隔てなく世話をしてくれたことは忘れられない思い出だ。

 見返りを求めるのではなく、わたしという人間がやってあげたいから助けてあげるというスタンスをもつ人々は見ていて清々しいし、かっこいい。

キリスト教の教えだから人を助けるわけではなく、自然とできるようになるのが理想だ。

 

ここまで、拙い文章だが読んでくださってとても感謝している。私がこれまで書いてきたことに対して、賛否が分かれるかもしれないが、様々な経験を通して培ってきた自分の大切にしている価値観を共有できて嬉しい。それを尊重してくれる人に会えることってとても重要だし、そんな人たちを大切にしなければいけないと思う。

では、また次回。